移送最終日

3月21日

残っているのは、ベッドから動かせない重篤な患者さんたちである。
自衛隊が、昨日と同じタイプの車両を10台近くも用意してきてくれ、病院の前にずらりと並んでいた。移送初日から比べると、一時避難していた医師や看護師さんをはじめ、ボランティアの人、われわれのチームの人数も増えていた。われわれも慣れてきていたので、良い連携が取れて作業はスムーズだった。患者名簿の把握と移送順の指示、各フロアからの1階までの患者さんの移動、ベッドから担架への移し作業などを手分けして行った。今日も自衛隊の人たちは動きも素晴らしく、すごい速さで移送作業を進めていった。


14時30分
移送が始まって3日目。やっとすべての患者さんが移送されていった。この病院の医師、看護師、事務の方たち、自衛隊、救急隊員、警察、ボランティアの方々、すべての人たちの協力があって成し遂げることができたことだ。一人ひとりが使命感を持って、少しでも早く患者さんたちを医療設備の整ったところに移そうと頑張った。ホッとしたが、最後にお一人だけ残っていた。今朝になって亡くなられた方だ。
納棺して病室から1階に降ろし、お見送りをした。患者さんのいなくなったこの病院は、病院としては一時閉鎖することになった。









数回にわたりお伝えした今回のレポートは、6月に出版された「フクシマ 3・11の真実 植田正太郎著 ゴマブックス」より、掲載させて頂きました。この著書には、大震災直後の相馬のことや、なぜチームの面々がこの活動を行うことになったかが詳しく書かれています。



はじめは、「1週間か10日間くらいボランティアして終わればいい」くらいの気持ちでいたのだが、でも行って見てしまうと、もう止めることはできない。
この活動の後に避難所を回って被災者の方たちの声をうかがうことで、いかにこれからの「心のケア」が大事かということを思い知らされた。個人で何とかしたいと思っても、どうすればいいのか道筋がわからないのが普通だが、幸い、相馬に縁の深い川嶋さんがいらっしゃるお蔭で、地域と直接連絡を取ることができる。統制の取れたチームとして地元の人と連携できることに、可能性を感じる。(豊田 談)

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