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①10月に開催予定の研修会および現地活動の予定を変更しました。
②12月の研修会日程を変更しました。

スケジュールにて確認してください。

活動報告書 : NO.2

活動名 :第2回心のふれあいサポート
期   間 :2011年7月28日(水)~8月1日(月)
場   所 :福島県相馬市 山上老人憩の家・清荘
報告者 :西久保 理代

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活動報告書 : NO.1

活動名 :第1回心のふれあいサポート
期   間 :2011年5月29日(金)~5月8日(日)
場   所 :福島県相馬市 山上老人憩の家・清荘
報告者 :池田 貞夫

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第5回報告会&研修会

明日9月1日(木)AM10時より、沖縄県那覇市の船員会館にて
先頃行われた「第3回心のふれあいサポート」の報告会が行われます。
福島県相馬市での活動や、その後の現地の状況、また今後の活動予定
などが主な内容になっています。


報告会が終わり次第、渡嘉敷島へフェリーで渡り、2泊3日の予定で、今後の
ボランティア活動に参加される方々の研修会が行われます。


研修会講師 : 豊田 勝義  音野 大志

移送最終日

3月21日

残っているのは、ベッドから動かせない重篤な患者さんたちである。
自衛隊が、昨日と同じタイプの車両を10台近くも用意してきてくれ、病院の前にずらりと並んでいた。移送初日から比べると、一時避難していた医師や看護師さんをはじめ、ボランティアの人、われわれのチームの人数も増えていた。われわれも慣れてきていたので、良い連携が取れて作業はスムーズだった。患者名簿の把握と移送順の指示、各フロアからの1階までの患者さんの移動、ベッドから担架への移し作業などを手分けして行った。今日も自衛隊の人たちは動きも素晴らしく、すごい速さで移送作業を進めていった。


14時30分
移送が始まって3日目。やっとすべての患者さんが移送されていった。この病院の医師、看護師、事務の方たち、自衛隊、救急隊員、警察、ボランティアの方々、すべての人たちの協力があって成し遂げることができたことだ。一人ひとりが使命感を持って、少しでも早く患者さんたちを医療設備の整ったところに移そうと頑張った。ホッとしたが、最後にお一人だけ残っていた。今朝になって亡くなられた方だ。
納棺して病室から1階に降ろし、お見送りをした。患者さんのいなくなったこの病院は、病院としては一時閉鎖することになった。









数回にわたりお伝えした今回のレポートは、6月に出版された「フクシマ 3・11の真実 植田正太郎著 ゴマブックス」より、掲載させて頂きました。この著書には、大震災直後の相馬のことや、なぜチームの面々がこの活動を行うことになったかが詳しく書かれています。



はじめは、「1週間か10日間くらいボランティアして終わればいい」くらいの気持ちでいたのだが、でも行って見てしまうと、もう止めることはできない。
この活動の後に避難所を回って被災者の方たちの声をうかがうことで、いかにこれからの「心のケア」が大事かということを思い知らされた。個人で何とかしたいと思っても、どうすればいいのか道筋がわからないのが普通だが、幸い、相馬に縁の深い川嶋さんがいらっしゃるお蔭で、地域と直接連絡を取ることができる。統制の取れたチームとして地元の人と連携できることに、可能性を感じる。(豊田 談)

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今後の活動予定

10月以降の活動予定を更新しました。
「スケジュール」で確認してください。

移送2日目

3月20日



この日、前日までの予定では、残る患者さんたち全員を移送するはずだったが、情報が錯乱していて、結局は20名ほどしか運べないらしい。大型観光バスがやってきて、昨日と同じように何とか自分の力で歩ける方と、車いすに乗れる方16人をゆっくりゆっくり慎重にバスに乗せ、1時間後には無事に見送った。


午後からは、寝たきりの患者さんたちの移送が始まる。慎重を期して対応しなければと考えた。しかし、あまりの余震が続く中、とうとうエレベーターが止まってしまった。3階、4階の患者さんたちを1階まで降ろし、移送させなくてはならない。ストレッチャーに患者さんを乗せ、みんなで抱えて下に降りた。かなり大変な作業となった。


しばらく作業を続けていると、エレベーターが復旧したとの連絡があったが、余震で外壁にヒビが入り、地下1階に水が溜まっているらしい。間違えてB1Fのボタンを押してしまうと、エレベーターのドアが開いた途端、大変なことになってしまう。慎重に、そして館内全員のスタッフに認知してもらいながら患者さんの移動を再開した。


どうにか1階まで患者さんたちを降ろし、救急車両へ乗せ、15kmほど離れたサテライトかしま(海上保安庁のヘリポートとして使われていた)までピストン輸送を行った。そこから移送先へ空路搬送される予定になっていた。その救急車両には救急隊員が同乗していたのだが、ストレッチャーの使い方もわからない方が少なからずいて、医師、看護師の同乗を求められ、院内では人手不足になってしまった。

思ったほど作業が捗らず、18名程度をヘリに搭乗させる予定が、日没と視界不良で9名のみの搬送になり、ひどく落胆した。後に聞いたのだが、近くの市民病院には100人ものボランティアが入って、自衛隊も一斉にやって来て、すべての患者さんの移送が済んだという。この差はなんなんだろうと、疑問を抱いてしまった。



夕方になると自衛隊のジープが到着した。移送が遅れてがっくりきているときだったので、みんなで声を上げて喜んだ。4人乗りの救急用の車両とヘリコプターも1台まわせるということで、すぐに患者さんの準備を再開した。
搬送用の車両が到着して、さっきのピストン輸送と同じように、看護師さんも同乗しなければいけないかと思ったら、「重症患者さんじゃないんですよね? だったら、同乗していただかなくても結構です。ヘリポートには医師と看護師が待機していますから、そこまでの間は、われわれ自衛隊が責任を持って搬送します。」と言い切ってくれた。
搬送が始まってから初めて聞くこの言葉に、看護師長さんは、はじめて救われた気がしたと涙ぐんでいました。実際、前日に搬送された人で、車の中で亡くなった方がいた。自分が救うべき患者さんを救えなかったのである。そんな葛藤を抱える中で、自衛隊の力強い言葉に勇気づけられた。頼もしい自衛隊の面々に4人の患者さんを委ね、本日の移送は終わった。


ここまで、バスで16名 ・ 救急車⇒海保ヘリで9名 ・ 自衛隊専用車⇒自衛隊ヘリで4名の合計29名の搬送が完了した。

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移送初日

3月19日

この日から新しいメンバーが合流した。
小学校の先生をしている静岡の池田さん、新宿で公園管理をしている横井さん、千葉で公園管理をしている安田さん、六本木の幼稚園でライフセービングを教えている原さん。心強いライフセーバーたち4名が来てくれた。午前中は、12時頃から始まる移送に備えるための作業を行った。具体的には、食事介助、清拭、体位換え、オムツ換えなどの介護、移送患者の荷物のまとめ、カルテ整理等々、やらなければならないことがたくさんあった。

残されていた患者さんたちのうち、車いすに乗れる人やゆっくりなら歩ける人など、ある程度動ける方65人を、群馬の日赤病院に移送することになっていた。
間もなくして機動隊が使うバス5台が到着したが、シートがすごく固そうで、患者さんたちは大変かもしれない。早速、患者さんそれぞれに用意した名札を首からかけてもらう。そして荷物をビニールに入れて名前を記入し、車いすに乗せて4階、3階、2階から1階まで下ろしていく。名簿順に並び、名前を確認しながら移送者に乗せる。


1台に12~13人乗せ、65人全員を運ぶ予定だったが、乗り込むまでに体調が悪化した患者さん3名を除き、結果62人を転院させることができた。看護師さんたちは、自分の患者さんをバスに乗せると、涙ぐんでいた。


病院に留まった患者さんの一人が、夕方になって心臓が停止してしまった。原君が心臓マッサージを、お医者さんがバックマスクという人口呼吸法を試みた。豊田も途中で交代して心臓マッサージを行ったが、再びおばあちゃんの声を聞くことはできなかった。必死で心臓マッサージをし、最初から付き添っていた原君は、「救えなかった」 と涙を流していた。

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現地着

3月18日

病院へ向かうメンバー達は、行くと決めた。
相馬市から南相馬市に入り、少し走ると原発から30km圏内に入った。豊田は車の窓を全開にして手を伸ばし、「ウオーー」 と叫んだ。


目に見えない相手、経験したことのない状況の中で、彼らの心境はどうだったんだろう。水難者を救助するとき、山で遭難者を救助するとき、必ず安全な場所が確保されるはず。しかし、ここから先はエリア全てが状況確認のできない、経験などまったく関係のない場所。そこは人々が普通に生活していた場所であり、たくさんの子供たちがいる。得体の知れない恐怖と戦っていた彼ら、自分に勇気を与え続けていた彼らにとって、その事実が唯一の救いではなかったのだろうか。


大町病院に着き、インフルエンザにもかかわらず、寝ずに働いている看護師長さんから状況説明を受けた。ライフセーバーは救助法や救急法は学んでいるけど、投薬や注射などの医療行為はできないので、「なんでもやります」と伝えた。
豊田と圀木は3階、音野は4階とそれぞれ持ち場を与えられ、お年寄りの清拭や介護、そして移転先へ渡すカルテの整理などを行った。


避難をせずに必死で患者さんたちの面倒を見ている看護師さんの姿があった。
おにぎりやみそ汁を差し入れてくださったドクターの奥さまもいた。
それぞれの人がやれることを精一杯やっていた。


しばらく作業をしていると、今日から始まる予定の搬送が、明日に変更になったとの連絡が入る。少しでも早く移送しなければならないのに...。




昼ごろに各局のニュースで大町病院のことが報道された。
ニュースを見た介護ボランティアの方が7,8人来てくれたので食事の介助などをお任せすることができた。音野が食事の介助をしていた90歳の方は、「こういうときだからこそ、わたしは一生懸命に食べて生きるよ」 と。暖房が効かない病室で寒さに震え、亡くなられた方がいても、ご遺体を移動することもできずに、同じ病室で他の患者さんたちの食事の介助を続けるような状態が続いていた。

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3.18 南相馬へ

※文中、特定できる人物名が登場しますが、
               事実のみを扱っており、他意を表現するものではありません。


時間は戻りますが。
福島県南相馬市は、我々が活動の拠点としている相馬市の南側に隣接し、福島第一原子力発電所から最も近いところで約10kmと、直接的に放射能の被害を受けたところです。3月18日、既に現地に入っていた豊田、音野、圀木と、相馬さん、植田さんは相馬市の立谷市長からの依頼を受け、この南相馬市にある大町病院に向いました。
原発の情報が右往左往している時で、市内は全く人気のない状況。南相馬の桜井市長が自主避難を呼びかけていた関係で、180人ほどの入院患者(多数は老人の方)をかかえる大町病院では、スタッフが十数人ほどしか残っていなかったといいます。この、原発から25kmほどに位置する病院で、そのスタッフと彼らが直面したこと (おそらく、違う場所の別の病院でもあったことでしょう) を、数回にわたりお伝えします。





豊田勝義が、普段からレスキュー指導者として伝えていること

 ・周りから見たときに、救助は99%無理だと思われても、
       行くと決めた人間が100%の自信を持っているなら行けばよい

 ・もし1%でも怖いと思ったら行くな。
       その1%が引き金となって、自分の命さえ守れなくなるかもしれないから

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第4回報告会&研修会

来週19日(火)AM10時より、沖縄県那覇市の船員会館にて、チームSOSの
これまでの活動報告会があります。
福島県相馬市での活動や、その後の現地の状況、また今後の活動予定
などが主な内容になっています。


報告会が終わり次第、渡嘉敷島へフェリーで渡り、2泊3日の予定で、今後の
ボランティア活動に参加される方々の研修会が行われます。
参加料 : 5000円  (宿泊食事込み)


前回は、埼玉県からの参加もありました。
今回の参加人数は、今のところ15人程の予定です。
ご質問等ありましたら、「お問い合せ」メニューにて送信ください。

9月のスケジュール

9月1日(木)~3日(土)   第5回渡嘉敷島研修会&報告会(那覇市)を行います。

23日(金)~25日(日)    「第4回心のふれあいサポート」を
                                  福島県相馬市で開催します。

8月のスケジュール

8月20日(土)、21日(日)  福島県相馬市において
                         「第3回心のふれあいサポート」を開催します。
                    
                   相馬市の広報で紹介しています。

「 ありがとう 」の歌声


福島県相馬市にある相馬保育園。
海岸からもほど近く、わずかなところで津波被害を避けられた保育園です。震災での被害が最小限に止まったこともあり、3月23日には、園を再開しました。その二日後、メンバー達が物資を届け、子供たちと時間を共に過ごしたところです。


映像は、6月の初旬にごあいさつを兼ねて再び訪れた時のものです。園長先生からは、「あの時は大変ありがとうございました。子供たちがとても楽しそうに過ごしているのを見て、何よりもうれしく、励みになりました。」、「これといったお礼もできなかったので、今日は感謝をこめて、園児たちより歌を贈ります。」と、声を掛けていただきました。


園を再開した時には10人ほどの園児しかいませんでしたが、今は、もとの賑やかさを取り戻していました。^^







福島県相馬市中野寺前37


相馬野馬追

例年通り、今月の23日~25日の予定で行われることが決定したそうです。

今から1000年以上前、相馬氏の遠祖にあたる平将門が領内に野生馬を放し
敵兵に見立てて戦の訓練をした事に始まると言われています。本年において
は、亡くなられた方の鎮魂を願い、更には相双地方の復興のシンボルとして、
「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」と称し実施することとなったそうです。


初日の23日には、相馬中村神社で出陣式があり、野馬追の神事が始まります。
さて今年の総大将は、誰が務めるのでしょうか。



        詳しくはこちらを  相馬野馬追執行委員会 公式ページ



出陣式-総大将御迎 : 相馬中村神社

出陣式-総大将御迎 : 相馬中村神社

ここ富山から
新潟方面へ、北陸道から上信越道に入り、約2時間ばかり走ったところに善光寺があります。長野県北部にあるこのお寺は、「遠くとも一度は詣れ」、「牛に引かれて善光寺参り」 と言われる名高いお寺です。5月中旬に、家族三人で訪れた時のことです。駐車場に車を入れ、5分程度歩いて本堂の正面に着きました。その堂々とした風格にしばし見とれていた時、娘が「父さん、父さん」と。 ふと振り返ると、そこにはたくさんの「絵馬」が並んでいました。


「ねえ、これ見て」と、一枚の絵馬を指差しました。彼女は、本堂など気にもせず、このたくさんの絵馬に何が書いてあるのかを1枚ずつ見ていたらしいのです。私は、その指差す絵馬を見て、ある意味「ショック」を受けました。「まさか、絵馬に...」 と思うと同時に、目頭が熱くなるのを覚えました。私が今までに目にしたものは、大概は、合格や就職、病気回復祈願などで、自分のことや、身内の為の願い事をするのが当然と思っていたようです。


    絵馬 ねがいこと (書き出し)

        東北地方太平洋沖地震の被災地の一日でも早い復興をお祈り致します

        福島原発の作業の成功と被災地、日本の一日でも早い復興をお願いします







4月中旬から約一週間の間、福島県相馬市へ入っていました。学生時代にライフガードの同期である豊田と、沖縄でライセービング協会の設立および活動に貢献した宮里君、同じく活動に尽力を尽し、琉球大の客員講師を勤め、「ハチドリ」でも活躍している大志君と合流し、相馬中村神社でお世話になりながら、4人で物資の輸送や今後の支援活動の下準備をおこなってきました。南相馬市から相馬、気仙沼、陸前高田、大舟渡、山田町と北へ上がり、現地の様子もこの目で見てきたのですが。

ここ善光寺を訪れたのも、まだその風景が毎晩夢の中にでてくる時のことでした。心から被災地のことを考え、心配し、復興を願っている人達の 「 魂 」 に触れた時、私の心が震えたのかもしれません。大切な何かを教わったような、今回の「善光寺参り」でした。            ( 石黒 博行 )













長野県長野市大字長野元善町491

















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