2011年7月28日

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現地着

3月18日

病院へ向かうメンバー達は、行くと決めた。
相馬市から南相馬市に入り、少し走ると原発から30km圏内に入った。豊田は車の窓を全開にして手を伸ばし、「ウオーー」 と叫んだ。


目に見えない相手、経験したことのない状況の中で、彼らの心境はどうだったんだろう。水難者を救助するとき、山で遭難者を救助するとき、必ず安全な場所が確保されるはず。しかし、ここから先はエリア全てが状況確認のできない、経験などまったく関係のない場所。そこは人々が普通に生活していた場所であり、たくさんの子供たちがいる。得体の知れない恐怖と戦っていた彼ら、自分に勇気を与え続けていた彼らにとって、その事実が唯一の救いではなかったのだろうか。


大町病院に着き、インフルエンザにもかかわらず、寝ずに働いている看護師長さんから状況説明を受けた。ライフセーバーは救助法や救急法は学んでいるけど、投薬や注射などの医療行為はできないので、「なんでもやります」と伝えた。
豊田と圀木は3階、音野は4階とそれぞれ持ち場を与えられ、お年寄りの清拭や介護、そして移転先へ渡すカルテの整理などを行った。


避難をせずに必死で患者さんたちの面倒を見ている看護師さんの姿があった。
おにぎりやみそ汁を差し入れてくださったドクターの奥さまもいた。
それぞれの人がやれることを精一杯やっていた。


しばらく作業をしていると、今日から始まる予定の搬送が、明日に変更になったとの連絡が入る。少しでも早く移送しなければならないのに...。




昼ごろに各局のニュースで大町病院のことが報道された。
ニュースを見た介護ボランティアの方が7,8人来てくれたので食事の介助などをお任せすることができた。音野が食事の介助をしていた90歳の方は、「こういうときだからこそ、わたしは一生懸命に食べて生きるよ」 と。暖房が効かない病室で寒さに震え、亡くなられた方がいても、ご遺体を移動することもできずに、同じ病室で他の患者さんたちの食事の介助を続けるような状態が続いていた。

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